大晦日の紅白歌合戦で工藤静香がメドレーを披露しました。今回24年ぶり9回目の出場となったのですが、過去の出場曲を振り返ると、
①1988年 MUGO・ん…色っぽい
②1989年 恋一夜
③1990年 くちびるから媚薬
④1991年 メタモルフォーゼ
⑤1992年 めちゃくちゃに泣いてしまいたい
⑥1993年 慟哭
⑦1994年 Blue Rose
⑧1998年 きらら
⑨2022年 嵐の素顔~黄砂に吹かれて
となり、今回の2曲を含めても、毎年違う曲を歌ってきました。連続出場が途切れていた1995~1997年でも「Ice Rain」「激情」「Blue Velvet」がヒットしており、2000年の電撃結婚まで長期間コンスタントに活躍してきたことが分かります。
当時の紅白歌唱曲については本人サイドのエゴによる選曲や最新曲ではなく、その年総合的に一番ヒットした曲を選んでおり、その点についても好感が持てるのですが、1991年については、1月発売の「ぼやぼやできない」と競ったのではなかったでしょうか。以下は1991年に発売した3曲の詳細です。
ベストテン方式でいくと、「ぼやぼやできない」は当時大ヒットしていた[愛は勝つ / KAN」を抑え2週連続1位を獲得しており、8週ランクイン、累積得点においてもこの年の3曲中一番のヒットとなっています。「メタモルフォーゼ」の場合は紅白後(10週目以降)粘りを見せて累積得点を増やすものの届いていませんから、歌唱曲を決定するタイミング(衣装の制作など考えるとおそらく12月前半)では、「ぼやぼやできない」が優勢だったのでは?と勘ぐってしまうところです。しかしながら、参考値で示したオリコンの売上枚数やカラオケ人気等を考慮した上での選曲となったのでしょう。さらに、当時も30年経った今でも、どちらが人気曲かといえば、ぼやぼや推しの方には申し訳ないですが「メタモルフォーゼ」に軍配が上がります。
では何故ベストテン的には ぼやぼや>メタモ になってしまったのか。考えるに、1991年は前半から徐々に起こっていたメガヒット現象が秋になり一気に本格化したことで、ポイント制で得点を出すベストテンでは1月発売と10月発売の曲を一概に比較できなくなってしまった側面もあったのかなと。ベストテンのランキングや得点は、あくまでも1週間という短期間におけるヒット占有率であり、ヒット曲が多く出されランキングが混み合う繁忙期と、それが落ち着いている閑散期の落差が91年以降急激に進んだことから、長期間での比較においては必ずしも曲のヒット度合と一致しないという、ベストテンの問題点が垣間見える、そんな一例でした。