永井真理子初登場週ランキング&全曲紹介

 永井真理子が初登場したのは1990年11月15日付。前週の初登場11位からランクアップしてのことでした。本家ベストテンが終了して1年、トップテン終了から半年、そしてついに夜ヒットも終わり、歌番組中心で活動していた歌手たちが行き場がなくしてさ迷い、音楽業界も試行錯誤の時期でした。ドラマ主演&主題歌という金脈を掘り当てた中山美穂とバーニング、完全初動型になってしまったまま惰性で5年続けた光GENJI、ノンタイアップで抗い続けた工藤静香ら80年代生き残り組も粘るものの、シーンの中心は新勢力が占めていきました。
 ブームで言えばバンドブームだったのでしょう。しかしそれも本当に短くあっという間のことでした。2年あったかな?完全に下火になっていて、次のブームが欲しい、何か仕掛けなければ、その焦りが生み出したのが、いわゆる「ガールポップ」ではないかと私は考える。私はこの「ガールポップ」というジャンルが嫌いでした。アイドル=ダサいという風潮が定着し売り出し困難→とはいえルックスは大事→おままごと程度の歌詞でも本人が書けばアーティスト売り…安易すぎて恥ずかしかった。けれど一度仕掛けられた流れは止められず、大量のガールポップアーティストたちが野に放たれたのです。
 既に88年からアルバムセールスやライブ動員で頭角を現し、89年「ミラクルガール」のロングヒットで一般層に浸透、90年「ZUTTO」初登場6位から2週後の11/29付でついに首位に立った永井真理子は、そこらの即席ガールポップ達とは区別されなければならなかったのに、なぜだかその象徴に使われてしまった、ある意味1番の被害者なのではないでしょうか?別に詞を書かなくても、彼女は歌声だけで聴くものを惹きつけるパワーがあったし、スタンダード歌手になれるだけのものを持っていたと思う。
 女性歌手初となる横浜スタジアム公演を成功させた絶頂期の92年に突然ドラマに出たり、アルバムを作らずバラードベストでお茶を濁したと思ったら分かりやすくロック志向に振り切ってみたり…本人がやりたいことと求められていることの歪みが強く出てしまったのが残念でした。
 まあ全ては結果論で、どんなブーム(このあとビーイングブーム、小室ブーム、エイベックスブーム?、ASAYANブーム?、色々来ましたけど)で担ぎ出されても残る人は残るわけだから、売り方と本人の資質(カリスマ性)なのでしょうね。時代の流れもあるし売れ続けることだけが当人の幸せでもないのだし。女性歌手の寿命は短い、そう考えると十分頑張ったとも思うし。ただもうちょっとなんとかなったんじゃないか、という悔しさみたいなものが残るのですよね。